1:計画の大要及び経緯
このダムは現矢吹町を中心とする矢吹ケ原1600町歩開田の国営開拓事業の水源として、農林省が直轄で7ケ年の歳月と11億円の工事費でもって昭和31年3月に完成したもので、昭和35年11月より農林省直轄で管理を行っているものであります。
ダムの用水源となる鶴沼川は那須連邦の一つである鎌房山に源を発し、下って湯野上付近で大川と合流し、更に流下して阿賀野川となり新潟県にて日本海に注いでいるのであります。
しかしこのダムによって堰止められた水は、奥羽山脈を貫くトンネルで流域を太平洋側に替え、隈戸川に流下し矢吹ケ原の開田地を潤したのち阿武隈川に入り、北流して宮城県から太平洋に注ぐことになったのであります。
今や満々たる水をたたえ、1600町歩の美田の慈母として5700tの米穀を生産し、地域産業に大きな発展をもたらすこの湖、願みれば、湖底にはかつて往時より57戸の住家と300有余名の人々が平和に生業に励んでいたのでありますが、この画期的事業に協力し先祖伝来の郷土を捨て他に転出されたのであります。またダム工事に従事の労働者中8名の殉職者を見るなど、この大事業の陰には幾多の尊き犠牲のあったことを思うとき、限りない感謝と、啓慕の祈りを捧げる次第であります。 (原文のまま掲載)